境内の木々の辺りで、一生懸命に鳴いている蝉の鳴き声がにぎやかです。

この季節になりますと、私は、亡き父母は勿論、御先祖様に、あらためて感謝の想いでいっぱいになります。

春・夏・秋・冬。四季のある美しい日本に生まれてこられたことを、大きな病気もなく生かさせて頂いていることを・・ありがたく、ありがたく、感じ入るのです。

寺に生まれ、まもなく63歳となる今日まで、お蔭様で僧侶というひとつの職業を続けてこられた事にも感謝あるのみです。

春夏秋冬、四季折々の行事、それぞれに深い意味や意義があります。

御盆は、その中でも特に大切な行事であると思うのです。

我々が人として生まれてこられたのは、御先祖様がおられるからこそです。

決して、日頃感謝の念を忘れている訳ではありませんが、言い尽くせない感謝を持って生かせて頂かねばと、再認識を自然に成せるのが御盆ではないでしょうか。

さて、近年は、住宅事情や家族構成等の事由もあり、仏壇の無い御家庭もめずらしくありません。

僧侶という立場の私が申し上げるのはおかしなこと、矛盾であるかもしれませんが、それぞれの事情ゆえ、仏壇は必ずしも無くてよろしいと思うのです。

但し、御先祖様への敬意や感謝を持ってさえおればです。

只、人は大概の場合、何かの有形なものとしての対象がある方が身近に感じやすく、忘れにくくもあるでしょうし、思い起こすこともたやすい・・そんなふうに感じるのです。

そこで、仏壇の無い御家庭は、コーナーテーブルや少し低めの箪笥・飾り棚等の上に「仏様コーナー」を作られてはいかがでしょうか。

たとえば、在りし日の御姿の写真を中央に配し、お水・お茶・お花・線香・ろうそく・・今は様々なものがありますから、部屋の雰囲気に合うものを選ぶのも宜しいでしょうし、仏壇仏具店にて本来のものを揃えるならば尚宜しいかと思います。又、最近は、現代仏壇なるコンパクトで洒落た仏壇も少なからず見かけます。

朝目覚めて、一番の水を先ず仏様に。そこから一日をスタートさせる・・・清々しく有難く一日が始められると思われませんか。

神仏は勿論、すべてのことに感謝を抱き、日々を生かせて頂くことは、何事にも変えがたい幸せです。人間だけに与えられた至福ではあるまいかと感じるのです。

そして、災害、病、事故・・あらゆる事由に依り、現世での生を終えられて、新仏様となられました御霊が安らかでありますように、この時期、朝夕の読経を、更に一生懸命に務めさせて頂きたく精進致してまいります。

檀信徒様、そして何かの御縁に依り、當寺ホームページを開いて頂きました皆様、この御盆の頃を、先に逝かれたお身内や親しくされた方は当然のことながら、遥かな御先祖様にも思いを馳せられて、お過ごし頂きますように。

合掌

2012年(平成24年) 8月吉日